記事一覧

正人の読書日記Part3

風邪引きました。正人です。

大雪かと思えばお天気だったりと、わけがわかりません。
3月は僕らをナメているのでしょうか?
油断して薄着のまま寝ていたら見事にやられました。
鼻が詰まってぐるじいでづ。

さて、恒例の読書日記。
今日の一冊は……

続き

「イノセント・ゲリラの祝祭(上・下)」 著/海堂尊 宝島社文庫

おなじみ田口・白鳥シリーズの最新刊、待望の文庫化。
ノベルスで買わなかったので文庫化になってからの初読みでした。

グッチーこと田口医師と白鳥室長が厚労省主催の会議に出席するため、霞が関に殴り込みに出るところから始まる。
しかし会議の内容といったら喧々諤々というか、ただぐだぐだなだけ。グッチーは、霞が関の医療に対する態度を垣間見、衝撃を受ける。
このままではいけない、このままでは現在の医療制度は潰れてしまう。医療を救うため、エーアイ導入を国に認めさせるために田口・白鳥コンビは奔走する。
やがてグッチーの後輩である彦根に力を借りることになるが、彼の心の中にこそ、現在の医療そのものを破壊しかねないほどのとんでもない野望が潜んでいて……。

というあらすじ。

本書に伏流しているのは「死因不明社会がもたらす恐怖」というテーマ。
最近でも被害者の死因が特定出来なかったばかりに、危うく他殺を自殺として片付けてしまいそうになった事例が報道されています。
こうした現実を見ると、イノゲリが語るテーマも机上の空論ではないなと考えさせられてきます。
ただのエンタメ小説と侮っていると足元を掬われる。

日本の解剖率は全体比でみると、たったの2%。
この2%という数字がいかに恐ろしいものか、本書の中にこの2%という数字が再三現れてくることからも深く伺い知ることができます。
100人中98人の死因が不明であること。
その中に誰かの殺意が含まれていたとしても、誰にもわからないまま終わってしまうこと。
それはただの自然死かもしれなければ、恐ろしい殺人かもしれないのに、僕たちは真実に気づかないままです。
大げさな考えのようで、決して大げさではないことを海堂尊は強く訴えています。

チームバチスタ、ナイチンゲール、ジェネラル・ルージュなどの海堂作品を通し読みする中で、何となく感じたのは、海堂尊は現代の魯迅になろうとしているのではないかということです。
魯迅も元は医師でした。国を変えるためには人の思想から変えなければならないが、そのためには医療ではなく文学こそ最適な治療法だと魯迅は考え、医師から作家への転身を果たしています。
海堂氏本人がそう考えているとは限りません。たぶん考えてないでしょう。
しかし、ひとりの医師ではなく、ひとりの作家として世に訴えかけなければ、医療制度は変わらない、だからこそ今自分が筆を取らなければならないのだという動機は、魯迅と違わないと思います。

海堂尊は現代に蘇った魯迅なのかもしれません。