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時をかける正人

どうも正人です。
先週に引き続き時をかけています。
意味は聞くな。

5月から9月まででっかい山場が始まります。
サークルとは関係ないアレなんですが自分にとっては失敗することの許されない山場なので必死で勉強しております。
大学の受験期を思い出すなぁ・・・
もう○年も前のことになるのか。

続き

法律を勉強しているとつくづく「法律って数学してるなー」と思います。
数字がアレコレとかじゃなくて、ケースバイケースで純粋な論理形式を当てはめていく、みたいな考え方をすることが非常に多い。
数Aの論理・集合とか場合分けに近い感じです。
AであればBだが、Cならば反Bだという例外もある。
民法総則でいえば「詐欺取り消しは善意の第三者に対抗できないが、強迫取り消しや錯誤無効ならば第三者には対抗できる」という基本中の基本の知識がそうです。
物権でいえば、質権なら占有改定で成立しないとか質物に使用収受権は認められないとか、抵当権ならば使用収受権は認められない代わりに被担保債権の限度額が制限されているとか、留置権には果実の充当が認められているとか、まぁいろいろ。
民法ばっかりだな・・・。
私人間の紛争には様々な例外が認められるものだからでしょうな。

よく考えてみれば、数学ほど論理的なものはないと誰でも気づくはずです。
1+1=2。
これほど純粋で無駄のない論理が他にありましょうか。
僕達は計算問題を解いていると思いながらも、実は論理的な思考を鍛えさせられていたのです。
そして証明問題にたどり着いたときに気づくのです。
「なんか国語っぽいー!」、と。

国語っぽいのは当たり前です。
なぜなら国語も数学も論理的な思考を学ぶためにあるものだからです。
いや、情緒を廃して無機質になった分だけ数学のほうがずっと論理性は濃いでしょう。
だから数学は国語なんかよりもずっとずっと論理的な思考を鍛えることができる学問なのです。
数学が入試科目に課されている文系学部出身者のほうが、そうでない者よりも年収が100万高いという統計もあるそうです。
文系だからといって数学をつっぱねる風潮はよくないと僕は思います。
むしろ文系だからこそ数学を勉強してほしいです。
じゃなきゃ筋だった論理展開なんてできやしないから。

4月に雪とか小説じゃねえんだよと独り憤慨する正人